31日大晦日、早めのそば食べようかと話したら、うれしそうに穏やかに
会議の結果、宴会ということになりましたのでじいさんにこれを伝えにいきました。「ちょっとはやめの年越しそばたべて、宴会しようか」と言いました。すると呼吸がゆっくりゆっくりと穏やかになり、明良さん出発されました。
明良じいさんは、ずっと前から家で最後を迎えたいと言っていました。それが叶ってよかったなと思います。
それで、やっと僕は気づいたのですが、
じいさん、大晦日が大好きでした。いつもは必ず10時には寝る人なのに、この日だけはおそくまでテレビをみて年越しそばを食べて寝ます。そんなに食べてすぐ寝れるの?というくらいでした。
そして元旦は起きたら、ご馳走を食べます。とくにかずのこです。
僕はかずのこの量にびっくりしたことがあります。そんなに食べるの?と。
ということで、じいさんは31を狙ったのです。
1日はどこも休みです。
31日、1日、2日と自宅でゆっくりして・・・という感じです。
僕はこれがわかっていたらもっとうまくできたのではないかなどと思うこともあります。
じいさんらしい最後です。
僕が明良じいさんから教わった究極の極意は、
よかよか、しょんなか(しかたない)
です。
なんでも、よかよか精神で
「しょんなか、しょんなか」でいけば、なんとかなるということです。なるかな本当に・・・
これからはどんな時も、
「よかよか」 といって、
何かあったら、誰も責めることなく、悔やむことなく、
「しょんなか、しょんなかやん!」だなと思いました。
じいさんの顔は僕たちには、とても穏やかで安堵の顔に見えます。
年越しそばとご馳走で宴会確実となった明良じいさんの安堵の表情に僕は見えます。
病院のみなさまのおかげさまで、自宅で最後を迎えることができたと思います。
毎日何度も何度も訪問してくださり、やさしく、僕たちが笑うと笑ってくださり、困っているとフォローしてくださりで大変お世話になりました。
じいさんも同じ気持ちだと思います。
そしてじいさんは今、自分の家の畳の上でゆっくりしてあります。くつろいでいます。僕のオフィスでもあるお仏壇のある座敷で一緒にいます。かなり一緒すぎたので違和感がありません。こんな気分は初めてです。
今思えば、長くて短いようで、じいさん面白かったなと思う5年間となりました。
認知症が悪化してきて僕のことを不思議に思っていることもありました。
じいさん、俺は誰かわかる?
わたしゃ、娘2人だったろうち 思うばってん、あんたはおれの息子やろ!
と言ってくれていました。
そのときどきは、嫌だな・・・となったり、あーあーとなったりがありましたが、どれもすべて僕には貴重な経験となりました。
僕はやっぱり思いました。
最後は家族と病院のみなさまだなと。
いつも僕たちにあわせて、笑ってくださりありがとうございました。
笑ってくださるので、ついつい話が長くなってしまっていました。
いつもブログもなんでも簡潔にと思っていますが、ついつい伝えたいことがたくさんありますので調子にのってきます。
じいさんとはお別れというようには思えなくて、
さあ、これからまた宴会だなという感じです。
こんどは宴会が49日間続くような予感です。